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2010年3月9日

舞鶴・引揚語りの会の松岡さん、自らの引き揚げ体験綴る
「さっちゃんの満州」平和の紙芝居コンクールで優秀賞
 NPO法人舞鶴・引揚語りの会の松岡幸代さん(71)=吉野=が、自らの引き揚げ体験を綴った紙芝居「さっちゃんの満州」が、長崎市主催の「長崎から伝える平和の紙芝居コンクール」の一般の部で優秀賞を受賞した。母親と2人の姉たちとの生死をさまよう過酷な道のりと多くの人の支えの中で、1年3カ月かけて帰国した様子を伝えている。受賞を機に3月13日、長崎の高校生らが引揚記念館を訪れ、松岡さんが紙芝居を上演する予定だ。  開拓団の職員だった父と一緒に家族全員でソ連国境近くに渡り、1945年7月に父が召集される中で終戦を迎えた。松岡さんは7歳だった。開拓団から自決用の青酸カリを手渡され、日中はコーリャン畑に隠れ、夜線路に沿って集団で歩いた。しかし、母が病弱だったため、次第に遅れ置いて行かれた。先行した集団は武装グループの襲撃に遭遇し、遅れたために命拾いした。  敵に見つからないため、泣きじゃくる赤ちゃんが口を塞がれ殺されたり、友人のナオちゃんが流れ弾に当たって死んだりと過酷な体験が次々と襲った。「みんなから遅れ広い野原に取り残されたときは本当につらかった。母と長女の姉が食糧を調達するため出掛け、夕方になっても戻らない時、待っていた姉と私は寂しさと不安で一杯だった」と語る。  一方、空腹の赤ちゃんを背負う女性に母が片栗粉を分け与えたり、肺炎にかかった母と赤痢にかかった松岡さんを中国人の医者が助けてくれるなど、人の温かさも子供心に知った。「あの時、食べさせてくれたコーリャンのお粥のおいしさはいまも忘れられません」という。  46年11月に佐世保に引き揚げ、肌身離さず持っていた劇薬を山に埋めた。2年後、ソ連に抑留されていた父も戻ってきた。「帰国後も母は『無事に戻ってこられたのは神様と周囲の支えがあったからこそ』と口にしていました。わずかなものでさえも分かち合い、感謝の気持ちを持っていた母から大切なことを学びました」と振り返る。  帰れなかった人たちの思いも伝えなければと、3年前に紙芝居(A3判、13枚)に仕上げた。絵は平野屋の画家の山根由一さんが協力を申し出て描いた。地元の小学校や各地で上演を続けている。先月受賞が発表された同コンクールには82点の応募があった。松岡さんは「体験者も高齢になっており、生の言葉で伝えるにはタイムリミットが近づいています。早く1人でも多くの人に語り伝えたい」と話した。長崎市青少年ピースボランティアの高校生・大学生約10人と13日、出会うのを楽しみにしている。

写真=過酷な体験を綴った紙芝居と松岡さん
市民からの寄贈品や龍興院の十三王図並ぶ
3月22日まで市郷土資料館で平成21年度収蔵品展
 北田辺の市郷土資料館(市民会館内)で、平成21年度収蔵品展が開かれている。市民から寄贈を受けた舞鶴海軍病院の記念写真帳、市指定文化財になった龍興院(泉源寺)所蔵の十三王図などが並ぶ。3月22日まで。入場無料。  寄贈品の中には、雨よけのために油を塗った長持ち用油単(ゆたん)など明治30年ごろの婚礼用具、大正11年の舞鶴海軍病院記念写真帳は手術や病室の様子など貴重な写真が収められている。江戸時代前期に記録された、中世のころに市内各地に築かれた山城の城主名を記した「嶽家文書」もある。  1605年の十三王図は、死者が初七日から32回忌までに閻魔王などの各王によって今生の業の審判を受ける様が描かれている。地域の宗教事情を知るものとして、来場者も興味深けに見ていた。電話75・8836、同館。

写真=展示されている「十三王図」
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